エベレスト 挑戦の記録
デヴィッド・テイト
霊峰をちらりと仰ぎ見ると、いつも通り、強風によって氷晶雲が吹き上がる。左を見ると、雲ひとつない山頂がくっきりと見える。思わず顔がにやけてくる。
垂直の氷壁で、ユマール(登山用ロープの装置)を使うために、腕の消耗は避けたい。できるだけ脚を使って登るつもりだ。一息一歩のペースを保ち、10歩までは休憩しない。確かに苦しく、厳しい。でもリズムをつかめば、案外、単調に過ぎて行くものだ。
第一キャンプ手前で立ちはだかったのは、梯子のかかった氷河の裂け目。その恐怖は、言葉では言い現せない。でも、横では、シェルパのカメラが回っている。何事もないように、梯子に足を踏み出す。きっと、カメラには、私の大いなる“虚勢”が映っていたにちがいない。
プルバ率いるシェルパチームは、あっという間に、雪山の半分以上、山頂のすぐ下まで登りつめた。30分後、雑音が入り混じるラジオから、驚くべき成功が告げられる。登山界で最強の5人だ。山頂までロープを設置した、最早の記録。偉大なシェルパたちは、大きな荷物を抱えて、ロープを交換、設置しながら山頂に到達し、またABCキャンプまで戻ってきたのだ。半分の時間で倍の作業を成し遂げた。ただ、ただ、尊敬するのみだ。
記録的な瞬間を収めようとする多くのカメラの間を縫って、私はプルバの前に出た。彼の手を握り、揺さぶった。この慎み深い、静かに話す偉人が、私が目指す、ダブル・トラバースに伴ってくれることを、私は特権のように感じた。と同時に、彼を失望させたくないと強く願った。
この2週間は、自分との戦いだった。幸運にも、有意義に終わらせることができた。しかしこれからは、考えや行動を変えていく。今から登頂日までは、もしくは、それ以降も、毎日がエネルギーとの戦いになろう。もはや、急ぐことに意味はない。最後尾にいることも誇りとしよう。きっと、この偉大なる挑戦は、それを乗り越えるだけではなく、それ以上のエネルギーが求められる。
明日、プルバと私はベースキャンプを発ち、苦悩と、願わくば、歓喜の20日間に向けて出発する。
*デヴィッド・テイトの日記より一部抜粋
ベッツイ・ヒュエルスカンプ
ベースキャンプに着くとすぐに息苦しさが始まった。靴紐を結ぼうと屈むだけでも、眩暈がする。空気の薄さに身体を慣らすために、ベースキャンプに2、3週間留まり、次に、毎日、日帰りのハイキングをする。できるだけ高度まで登って、戻って、眠る。それから、27km先のABCキャンプまで登る。そこで身体を慣らして、また、ベースキャンプまで下り、登って、下りて、登ってと繰り返す。身体が、このような動きを、受け入れられるようになるまで。
驚かされたのは、71歳の日本人登山家のこと。彼はとても、精神的に強い人。毎朝、テントの外でヨガをしていた。彼のストレッチを見ていると、周りの若い人たちよりも、よほど健康に見えた。でも、段々高所に登っていくごとに、彼はみるみる痩せ細ってしまった。
北の峰まで登ったのは、本当に暑い日だった。私が登山前に聞いていた話は、指をなくしたこと、つま先を失ったこと、鼻がもぎれたことなど、凍傷の話ばかり。そう、私が一番怖かったのは、寒さ。だから、北の峰からキャンプ2まで登った日、私は、下着を4枚重ね、その上に服をきて、ダウンを羽織っていた。なのに、その日は、摂氏30度近い気温で、眩暈を感じ、ひどい脱水症状にもなり、暑さにやられ、立っていられないほどだった。雪の上に寝そべって、思わず祈った。「どうか、雲を、雨を下さい。焼け死にたくはない!」 でもやっぱり、最もつらかったのは、自分は元気で、まだ登れると思っているのに、その場に残り、他の隊員の旅立ちを見送った時かもしれない。
私はいつも、1つ冒険を終えたら、次はそれを超える何かを考えてきた。でも、この挑戦はまだ終わってはいない。もう一度戻って、挑戦したい。山頂までたどり着けるかどうかは、あまり問題ではない。エベレストは、まだ、私の夢であり続けている。
エベレストに登ってみて、正直、地球温暖化の影響は出ていると感じた。今年は、事実、記録上、最も温かい年だった。そして、登山者の増加も関係していると思う。山頂までは、北の峰ように急な斜面もある。しかし、それも用意された道で、皆がそこをたどる。数が増えれば、自然と影響は出るだろう。
*ベッツイ・ヒュエルスカンプのインタビューより一部抜粋
